◆ 2022年 2月3日 952回 例会 ◆
会員卓話  石井雅芳会員  「マイ・ライフ」
例会場:ホテルニューオータニ幕張


   佐々木宣雄 会長

 
   

 
   浅野賢一 幹事

 
 


 
    石井勝利・鴨狩睦・杉山和久・鈴木賢治 各会員  
   

 
  石井雅芳 会員 「マイ・ライフ」  
 
 本日は貴重なお時間を頂きましてありがとうございます。
私は 石井雅芳 と いいます 名前の由来は親が付けたのではなく お坊さんに お願いして頂きました と の事です 
昭和36年7月15日に横浜の鶴見で生まれ2歳の時に小児喘息にかかり 千葉県八日市場市の米倉村に移りました。9才で母親を ガン で無くしてから父親と妹の3人での暮らし おさんどん は 私の仕事になりました
 18才から 私だけ千葉市に移り千葉県の経営 公立学校共済組合宿泊施設 青雲閣 に勤める事になりました 仕事の内容としては ホテルなので厨房での板前になりました 6年間修行 彼女も出来 同じ職場での恋愛は 良くないので私が辞める事になりました
 色々な就職場所がありましたが 彼女のオジの紹介で前職と同じような県が経営しているホテルに内定しました が 少し間がありましたので 住まいの近くにある 寿司屋に 出前持ちで 働かせて頂きました 期間限定のアルバイトでしたが 寿司屋の大将に気に入られて フグ アンコウ スッポン 等々の調理の技術を教えて頂きました そのまま7年修行をして 寿司職人になります 職人としては 某有名店で3年間腕を磨いた後に 自営を26年しました 店を移動してから 妻の病気が発生して店を締め8ヶ月間面倒を見ました 躁鬱病なので いつも傍にいるようにしたのですが非常に大変でした この間 自分のスキルを上げる為に品川駅の近くにある うどん学校に行き また 古物商の許可証も頂きました 
 妻の具合も良くなり 何か月も 働いていないので就職活動をしました 前から考えていました サラリーマン(私は仕事でネクタイをしてみたいのが理由)に なりたい と 女房に相談したところ 半年間でダメなら 板前に戻る 約束しました 前からのお客様に大手企業の支店長や課長がいるDKの営業に行くことになり 厳しい半年後 何とか 契約を頂き首の皮が繋がり そこからは面白い様に契約を頂き支店に欠かせない存在になります 3年後課長にもならせて頂き 管理職を3年半後 退職 今の会社 誠(まごころ)リホーム株式会社 を立ち上げました この会社の名前ですが 私が考えたのではなく 今も好意にしていただいております フレスコの社長阿久津様が付けてくれました  
 最後に私の持論ですが一つ200円のお寿司も1億円の建物も お客様に注文頂けたのは お客様の為だけに常に 真心を貫く こと だと考えています