◆ 2017年 4 月20日  820回 例会 ◆
於:ホテル「ニューオータニ幕張」

  RI第2790地区2013-14年度ガバナー  関口 徳雄 様

   清水 隆 会長
 改めまして  こんばんは
-RI2790地区2013‐14年度ガバナー 関口 徳雄様、本日はお忙しい中、我がクラブの例会にご参加いただきましてありがとうございます。
関口PG年度は「未来の夢計画」がスタートした年度となります。R財団は未来の夢計画により4つのプログラムに纏められ新たな事業をスタート致しました。その中に地区補助金がございます。先週の土曜日に寺嶋年度の地区補助金申請の審査会が行なわれました。
 我がクラブからの申請書は問題なく通りました。関口PG!! 浦安RCの申請書も問題なく通りました。しかし厳密に審査を行いますとほとんどのクラブがヒアリングを行わなければなりません。財団委員会では、戦略として柔軟性を取り入れた審査により落とすのではなく、活かすための審査を行ったと、私は思っております。
地区補助金を活用しての事業は、奉仕プロジェクトの企画立案!! そしてペンを執る事だと私は思っております。会長を初め予定者による繋がりを持たせる事で単年度ではなく継続事業となって行くのではないでしょうか。
私の考える奉仕事業は、クラブの発展と品格を考えた事業だと思っています。踏襲ではなく積み重ねていく事業が会員のスキルをも伸ばすことに繋がると思っております。すぐに結果を出すのは難しいと思いますが、皆様がクラブの発展を考え続ける事が重要ではないかと私は思っております。そこに各委員会がルールに邪魔されない様に柔軟性を取り入れた事業を立案して頂ければと、私は思っております。規定審議会による定款変更は、戦略的に見ますと各クラブの倫理観により定められるとおもいます。
今週は関口PG、来週は宇佐見PGより、ロータリーが柔軟性の取り入れ方を世代による変化と、ここ数年来に於けるロータリーが成長を遂げるために蒔いた種が徐々に芽吹いて来ている様をお話ししていただけると私は思っております。

 
    RI第2790地区2013-14年度ガバナー 関口 徳雄 様
             「奉 仕 の 変 遷」

1、初めに,ご紹介いただきました浦安の関口です。本日卓話の機会をいただきましてありがとうございました。
私もガバナーを終えて早3年近くになります。終えた直後はパストガバナーという言葉に若干の違和感もあったのですが、何か過去の人で、もはや当地区ではラフランスつまり洋梨のPDGと言われているようで嫌だったのですが、最近はやっと慣れました。すっかり過去の人になりきっています。
と思いきやまたまた出番ができまして、7月1日から寺嶋年度の研修リーダーとやらを押し付けられました。何回かお断りしたのですが如何しても~
<私がガバナーの時の{田中作治RI 会長の言~ロータリーは頼まれたら「イエスかハイ」しかないんだとのこと>
さて今日のテーマは「奉仕の変遷」「ロータリーの変遷」とでも副題とすればよかったですが。そこで今なぜこのテーマかですが、皆さんご案内のように昨年RIの規定審議会というRIの立法機関からロータリー111年の歴史を変えるほどの(これはあるPDGの言葉ですがね)法改正がありました。つまり大変革があったということです。・
しかし果たしてそれほどの大きな問題なのかも一度考えてみようと思いこのテーマにしました。
中にはロータリーの理念や哲学まで変えるものだとの悲壮な考えをするPDGもいました。
そこで真実このたびの改正はロータリーを根本的に変えてしまうものなのか、ロータリーの本質まで変化をもたらすものなのか?
ロータリーの変遷を語る前提としてロータリーの本質について考えてみたい。
ロータリーの本質というのは、抽象的で且つ、漠然として面白くも何ともないテーマです。ロータリーの本質を語る時は、どの時点のロータリーに言及すべきものか判然としないのです。
例えば、1905年2月23日物質的相互扶助を掲げて一業種一会員としてロータリーが産声を上げた時なのか、あるいは1906~1913年にかけてポールがルネッサンスと呼んだ一種の革命即ち親睦と相互扶助しか考えていなかったロータリーに「奉仕」の概念を持ち込んだ時なのか、そのご芽生えたロータリーの奉仕は、1923年セントルイス大会での「社会奉仕に関する声明」、いわゆる「決議23-34」において、そのロータリー運動はピークに達し、加えてこの時、ロータリーは奉仕の理念を完成させ、それは「奉仕の哲学」にまで高められたものでしたが、ロータリーの本質はこの時点をとらまえて本質を語るべきか、さらにはその後つまり1927年いわゆる4大奉仕の考えが確立され、ロータリーが「原理ないし論理探求のロータリーから実践のロータリーへ」と軸足を移した時なのか(進化したという論者もいます)
私は悩みます。どの時点を取らまえて本質を語るべきなのか迷うわけであります。
いずれにいたしましても本質を語るときには誰もが認める「決議23-34」の
背景を語らなければなりません。
ベテランのRotarianからはまたか❓との声も聞こえそうですが, 経験の浅い会員の皆さんに向かってお話ししますと

<注>
この決議23-34が問題となった時代背景ですが、当時「理論派」と「実践派」の激しい対立があり、まさにロータリー分裂の危機にあったわけですがこのぶんれつを救ったのがこの決議23-34であったと言われておりまして、ロータリアンの中にはこの決議を「バイブルとか般若心経」に例える人がいるくらい大事なものでした。
理論派と実践派との争いとは、簡単に言えば「奉仕の実践について個人奉仕を原則とするか、団体奉仕に軸足を置くか」の争いです。
理論派は本質的なロータリー活動は職業奉仕であり利益の適正な分配、職業倫理の高揚であってそれは個人奉仕だとするもの、つまりロータリー運動を「奉仕の心の形成」としてとらえるものです。一方実践派は弱者に涙することが人間の道であり人道主義的な活動の実践活動が重要であって、そのために寄付などの金銭的奉仕や団体奉仕になることもやむおえないとするものです。実践派かすれば奉仕の心を説き奉仕の心の形成を大事にする理論派の態度は責任回避だと非難するのです。
このように「奉仕の心の形成」に重点を置くか「奉仕の実践」に軸足を置くかの対立論争は個人奉仕か団体奉仕か、さらには金銭的奉仕の是非にまで発展していかんともしがたい激しい対立となったのです。、
そして決議23-34がこの対立を解決したのですが基本的には理論派の立場を継承しながら双方の立場を取り入れたものでした
まさにロータリーの分裂を救ったセントルイス大会であったのです。
然し結局は妥協の産物だったわけですから今日いい意味でも悪い意味でも
後を敷いているわけです。

私はある会合の卓話でこう言いました。
もし歴史にタラレバが許されるならばあの時中途半端な妥協をせず、理論派と実践派の分裂を容認すればよかったのではないのか?さすれば理論派の行き着く先は、
今日ある日本のロータリアンの多くが信ずる職業奉仕ないし職業倫理を中心にした個人奉仕の団体としていぶし銀の光を放ちながら活動していたであろうし、実践派は、寄付団体として他の奉仕団体と競争しながら黄金の輝きを持って発展したであろうと思うのです。
そしてもしそうならRIが決議23-34を何度も反故にしようとする必要もなかった
のであります、またRIの財団化と批判されることもなかったはずでしょう。
更には日本の多くのRotarianが「ロータリーの危機」を論ずる必要もなかったでしょう。

その後、時代の変化とともに知らず知らずのうちにロータリーの奉仕の概念は変化し、その変化の頂点となったのは、なんと言っても約30年前の1985年のポリオプラスプログラムからです。
事の良しあしはともかくその時代そしてその時の世界情勢のニーズに答えた結果であったのかもしれませんが、確実に奉仕の中身が変化して来ました。
この時にも日本の心あるRotarianは「これはもはやロータリーの奉仕活動ではない単なるボランテャ、寄付団体ではないか、ロータリーよ一体どこへ行く」と嘆いたものでした。
その後のポリオ撲滅運動を含めて、その運動そのものを悪者扱いするのではなく、このポリオプラスプログラムからRIの奉仕に対する考え方、いわゆるロータリーの奉仕の概念が個人奉仕から団体奉仕、つまり、「I serve」から「We serve」へ大きく舵を取ったものであり、決議23-34の精神が忘れ去られるどころか、この精神が邪魔となって、その後RI理事会で何度も廃止の憂き目を見ることになり、その度に日本の心あるRI理事の踏ん張りでかろうじてロータリー章典や手続要覧に残されることになったことは、経験のあるロータリアンなら誰しも知っていることであります。

④ そこで話を戻しますがロータリーの本質に言及する時、ロータリアンとして先ず心に銘記すべきは、創立当初(1905年)から数年後に物質的相互扶助から決別し奉仕理念を確定した時にロータリーの中に奉仕の概念が生れたことであります。
1923年のセントルイス大会において決議された、いわゆる「決議23-34」によれば、『ロータリーは、基本的には一つの人生哲学であり、それは利己的な欲求と義務及びこれに伴う他人のために奉仕したいという感情との間に常に存在する矛盾を和らげようとするものである。この哲学は、奉仕 ―「超我の奉仕」の哲学であり、これは「最もよく奉仕する者、最も多く報いられる」“One Profits Most Who Serves Best”という実践的な倫理原則に基づくものである」とするのもので、我々はこれこそ正にロータリーの変えてはならない本質であると思います。
即ち、ロータリーには二つの理念があります。その一つは、他人のことを思いやり、他人のために尽くすという「超我の奉仕」であり、それは「Service Above Self」のモットーで表現される「人道的奉仕理念」であります。
もう一つは、アーサー・シェルドンが提唱した「最も多く奉仕する者、最も多く報いられる」、つまり「One Profits Most Who Serves Best」のモットーで表現される「職業奉仕」の理念であります。
この二つの理念こそロータリーの本質を構成する要素であり、将来においても社会情勢の変化に応じロータリーが変化を余儀なくされても、変わらず存在しなければならない奉仕の理念なのです。そして、今でも変わりません。

⑤ ロータリーの理念本質は変わらないとしても、2016年度の規定審議会では制定案の名のもとにロータリーの方針が大きく見直され、クラブ運営に大幅な柔軟性を認める決定をしました。例えば、例会の頻度・形式・出席に関する柔軟性、Eクラブと従来型のクラブの区別をなくし、会員の種類にも柔軟性を認めることになってきました。2013年の規定審議会においてもその傾向ないし動きはありましたが、まだ機は熟さないとして理事会提案を撤回したりしていましたが、此の度は堂々と提案しました。
今回の規定審議会では、あのポリオ撲滅運動の時でさえ例会及び出席重視・会員身分等は変わらなかったのに、これらロータリーが過去100年以上にわたって守ってきたものが会員増強の名のもとに簡単に消滅されたのです。
時代の変化に対応したものと言えばそれまでですが、昨今のロータリーの在り方が今後のロータリーの発展とどう結びつくのか判然としないまま理念や哲学などが放り投げられて単なるボランティア団体に成り下がるのではと思わざるをえません。
正しく「奉仕の概念の変化」とともに「ロータリーよ何処へ行く」と心配せざるをえません。

<現状の分析と日本のRotarianが将来とるべき道>
1 私達がロータリーに入会し、その組織基盤をベースにして活動するのは、自分達の心の中に存在する社会を少しでも良くしたい、人のお役に立ちたいという気持ちを実践する時に、より効果的で、より多くの成果を求め、自分達の職業の特性を生かした奉仕をしたいと考えているからであります。
しかし、現在のロータリー活動を見て下さい。親睦の基本である例会への出席率は減少し、せっかく集めたクラブの浄財は、自分達の活動に使うことなく他団体に寄付することで会員の奉仕の達成感が得られているという(情けない)団体になっています。ロータリーとは、親睦と奉仕が両輪のクラブです。そして、奉仕の中でも自分達の生業を生かした職業奉仕を一番大切にする組織です。ロータリーの目的(綱領)にはその事が書かれてあり、その考えを理論的に説明する概念として行動規範(ロータリーの職業宣言)や二大モットーがあるのです。ですから、私達は単なる寄付団体ではありませんし、ボランティア活動をしているわけでもありません。言い古された言葉ですが、ロータリーが他の奉仕団体と本質的に違う点は、職業奉仕の概念を持っていることです。入会資格を極端に緩和し、例会を少なくしてオンラインでも可能とした意図は、奉仕の実践と効果を優先しなさい、身近にいる全ての人間と一緒に奉仕しなさい、つまり、We serve を一生懸命やりなさい、ということです。
今、ロータリー固有の奉仕理念を変えてはならないことを再確認する必要があります。私達は職業奉仕の理念を捨て去って単なるボランティア組織に移行することの愚かさを自覚しなければなりません。今からボランティア組織に看板を塗り替えたところで、数ある先発ボランティア組織の影に埋没してしまうことは必死であります。

2 それでは、何故こうなってしまったのか、何故世界のロータリーの流れは理論をないがしろにし、実践1本になってしまったのか。
「先ず外部的要因として」
 過去、ロータリーは素晴らしい社会奉仕理念を構築しました。ロータリー独自の考えで様々な活動をして社会に奉仕してきました。しかし、その後の産業構造の大きな変革に職業奉仕の実践方法をきちんと適用する努力を怠ってきたことが、この現状を引き起こしている一つの原因でしょう。
「ロータリーの内部的要因として」
発展途上国にRCが増えたことです。インドは6年前に日本を超えて10万人を突破してますし、ブラジルなんかも日本に迫ってきてます。
そもそも日本のロータリーは歴史が長く(100年)高度なロータリー文化を築き上げており、理念や哲学を語ることを好みます、他方で途上国のでき星ロータリーは
やたら数だけは多いがロータリ文化というものがなく、したがって奉仕の哲学には興味がなく論理よりも目に見える奉仕の実践に価値観を求める傾向があります。
それでいてRIからしたらこれら異文化のロータリーを画一的に管理運営しなければならず、手続要覧という法律ないし約束事でこれらを十把一絡げにして縛りかつ管理しなければならないわけであります。
このことはDLPが義務化されているにもかかわらず対応するクラブのCLPが日本にはなじまずいまだ徹底していないことの理由でもあります。
このような的確な現状分析をせずして、
 昔ながらの職業分類を引きずって、女性入会を拒否するし、頑なに新しい会員の入会を率先してこなかったがために、ロータリーの特徴であるはずの職業奉仕を形骸化させてしまったのです。
 組織の管理運営は、DLP、CLPの導入で大きく変りましたが、クラブの自治権のもとに未だにCLPを受け入れないクラブも多々存在します。時代の変化に応じてクラブ内で思い切った改革を試みる必要があります。そして、この度の規定審議会は、ロータリーのターニングポイントになるものと思います。論理を重視する伝統的ロータリアンは嫌気がさすでしょうし、在籍している意義を見出しにくくなるものと思います。これは、見方を変えれば、伝統派とRI本部(事務局)との対立と思われました。その背景はRIの財政です。資金運用はリスクを伴います。現状では財政的にRIが持たないということでしょう。600名の職員の存在と世界的に会員の現象が続いている現状を何とかしなければならないという焦りが、会員増強のためにはなりふり構わずという手段を選び、ロータリーの理念をないがしろにするがごとき理事会提案になったのだと思います

3<これからのロータリーについて日本のRotarianがとるべき道は>
 そこで、日本におけるこれからのロータリー、将来のロータリーはいかにあるべきかですが、まず何をさておいても日本のRotarianの数を増やすことです、つまり会員増強です。数を増やし世界で日本のRotarianの発言力を増すことです。そのなかでロータリーの理念を遂行し、組織を全世界に広げるためには、日本の倫理観と職業奉仕の考えを世界に広めていく必要があります。そして、アメリカ主導の組織管理を改める必要があります。その中で日本は世界のリーダーシップをとっていかなければなりません。日本のロータリアンはいたずらにロータリー理論を振りかざし、それに固執するのではなく、奉仕活動の実践内容を今の地域社会のニーズの変化に適応したものに変えていく必要があります。そのためには、机上の空論ではなく、真に地域社会の人々が必要とするプロジェクトを見つけて開発して、それに全力を傾注すべきであります。理論は理論として大事にしていくことは勿論ですが、効果的な実践活動を行い、クラブとして認められるようにならなければなりません。こういった改革なしには、日本のロータリーが次の世紀に生き残ることができないことを今、胆に銘じなければなりません。日本は世界の流れの中で、孤独を避けながらも伝統への回帰を辛抱強く図るスタンスをとるべきではないかと私は思います。

4 結語
今回の規定審議会は、例会、出席、会員資格、クラブのあり方等、全てに関してロータリーに大きな変革をもたらしました。例会、出席率、会員資格を緩くしたければしてもいいよ、反対に厳しくしたければしてもいいよ、つまりクラブの自由に任せるからとしたのは前述したごとく文化、質、の違う地区、ロータリークラブを画一的にコントロール出来なくなってしまったからだと思います。ですから、日本のロータリーのクラブ運営は当面は、日本独自の考え方で進んでいって良いと思います。
基本的には、様々な職業を持った会員が集い、「親睦」と「奉仕」を行なう。その中には、秩序と礼節を重んじた倫理的な活動の在り方を自己研鑽し、実践するロータリアンの古き良き姿があっても良いと思います。今回の変革に踊らされることなく、各クラブでは自分のクラブの特性をきちんと把握して、クラブ定款、細則を無理に変更しなくともよいと思います。それぞれのクラブには、それぞれの考えがありますから、規定審議会の決定全てを取り入れなければならないわけではありません。我々は日本のロータリーの一員として、素晴らしい活動をするべきです。
最後に、「理論なき実践は凶器であり、実践なき理論は空である」ことを今一度銘記すべきです。