◆ 2020年 8月20日  920回 例会 ◆
例会場: ホテルニューオータニ幕張

    平山勝己 会員  
  衰退するロータリー
皆さんこんにちは。先週テレビを見ておりましたら、櫻井よしこさんが、先日なくなった台湾の李登輝さんは、日本から利他の精神を学んだと話しておりました。
また2,3日前に日経ビジネスという雑誌に、日立製作所の社長の東原さんが<利他の経営>ということについて、述べておられました。
<利他の精神>、<利他の経営>あまり聞き慣れない言葉ですが、利他の経営とは、近江商人の<三方よし>の経営理念に似ているかと思います。
<三方よし>は、皆さんご存じの通り、<売り手よし、買い手よし、世間よし>、という経営理念です。
近江商人とは創業者が近江出身の企業ですが、この<三方よし>の経営理念と宗教をバックに戦国時代から活躍している企業群です。
近江商人の流れをくむ企業は今でもたくさんあります。たとえば西武鉄道、高島屋、伊藤忠商事、住友財閥、双日、トーメン、ヤンマー、日清紡、東洋紡、東レ、ワコール、トヨタ自動車、日本生命、武田薬品、西川産業、などです。
またこの<三方よし>の経営理念は近江商人ばかりではなく、松下電器の創業者の松下幸之助さんもこの経営理念を実践していたと言われております。
こう考えてみますと<三方よし>の経営理念または<利他の経営>は日本の経済社会の中に深く根付いていると言っても良いかと思います。
これらの企業は長期間にわたって繁栄しております。その繁栄の原動力が<三方よし>の経営理念にあったとするならば、それこそ我々が学ばなければならない経営理念です。
このような<利他の経営>、<三方よし>の経営理念は、日本ばかりではなくアメリカにもこれらの経営理念を唱える人はおりました。
アーサー・フレデリック・シェルドンという人です。シェルドンはビジネススクールを経営していたのですが、当時のビジネススクールとしては規模の大きいビジネススクールだったそうです。
彼はアメリカの企業の中で長期間発展している企業を徹底的に調べたそうです。長期間繁栄している企業には、なにか共通点がないか。そこで彼が発見したのはほとんどの企業が<利他の経営>、<三方よし>の経営を行っていると言うことであります。
彼はそれを一つの言葉にしました。<He profits most who serves best> <最も多く奉仕する者は最も多く報われる>という言葉です。
その後シェルドンは、1908年にシカゴロータリーに入会し、彼の言葉<最も多く奉仕する者は最も多く報われる>がロータリーの標語になりました。
なぜこの言葉がロータリーの標語になったのかというと、当時のシカゴは商業道徳が廃れており、欺し、欺され、商品は不良品が多く、ものを買っても支払わない。そんな社会でした。
このシェルドンの言葉通りの経営理念で経営を行うことにより、取引先にも、同業者にも、また社会にインパクトを与えるかもしれない。
すなわちロータリーは社会改革運動なのだと定義づけたのであります。これは個人が行う行為すなわちロータリーアン一人一人の会社が<利他の経営>、<三方よし>の経営を行う。あくまでも個人奉仕であります。それが社会を良くするという信念であります。
ロータリーはこれをVocational service<職業奉仕>と名付けました。慈善団体は世の中にたくさんありますがこの職業奉仕という考え方を標語にしているのはロータリーだけです。
ロータリーが日本に入ってきたときこの標語と先ほど話した<三方良し>の経営理念、また二宮尊徳の<報徳の教え> <利他の経営>などと同じ考えに立っていると言うことで日本人にもロータリーが好意的に迎えられました。
 私はロータリーに38年おりますが、今から20年ぐらい前までのガバナーは誰もがこの職業奉仕の信者でありまして、皆さん熱意を持って話しておりました。
しかしここ20年、若潮ロータリーが発足してからぐらいから、職業奉仕のことを話すガバナーがだんだん少なくなったような気がします。
その言葉に変わって、最近は<改革>という言葉が叫ばれるようになりました。<改革>、響きのよい言葉ですね。この響きの良さにだまされてしまう。
しかし改革というのは伝統の破壊の上に成り立っている。一度伝統が崩されたら二度と伝統はよみがえらない。
ロータリーの伝統を守る。そういうことを主張するガバナーは、今は一人もいなくなったようなきがします。
ロータリーの伝統とは何だろう。それは例会重視、出席重視、単体のロータリークラブ重視、一業種一名、経営者または職業専門家という会員資格の重視、個人奉仕重視、職業奉仕重視などと思います。
100年以上も続いたロータリーの伝統はここ10年ぐらいの間に<改革>の名の下にすべて軽視されてきたような気がします。
その結果どうなったかというと、正確な情報かどうかわかりませんが、ロータリーは今 数年のうちに100万人入会し100万人退会するという非常に不安定な組織になってしまっているということです。
 私は今塩野七生の<ローマ人物語>を読んでおりますが、ローマ帝国が衰退した原因はいくつもありますが、その一つに<ローマ人が、ローマ人らしさ>が失われたことが原因だと塩野七生は言っております。
 ロータリーもロータリーらしさがなくなればいずれ衰退していくと思いますがどうでしょう。いやもう、衰退のまっただ中かもしれません。皆さんの意見も聞きたいところであります。ご清聴ありがとうございました。


 
  〔臨時総会〕 クラブ定款第4条改正の件
           中路泰博 会 長
 
 

 
    「暮らしに役立つ法律知識」  北原賢一 会員  
  現在,日本では法律の数は約2000あると言われています。政令や省令なども含めたいわゆる「法令」の数となると,その数は約8000にも上るとされます。弁護士として仕事をしていながら恥ずかしい話ですが,私自身が仕事で接する・扱う法律はこの数に比べたら本当に限定的で,私もほとんどの法律を知らない状態である,というのが実情です。ちなみに,六法全書という本の名前を聞いたことのある人は多いと思いますが,この六法全書でも収録している法令数は大体800位らしいですから,今ある法令の10分の1くらいしか載っていないことになるんですね。
 さて,今日のテーマは「暮らしに役立つ法律知識」ということですが,実際には「知っていると得をする」情報というよりも,「知らないと損をする」,あるいは「勘違いしやすい落とし穴」という内容のお話になります。今申し上げたように,8000もある法令の中で,実際に関わる可能性のあるものというのはかなり限定されるわけです。今日この場では,皆さんに身近なもの,誰しもがかかわりあう可能性のあるものを,3つの視点からお話させていただくこととしたいと思います。
 一つ目の視点は,日常用語と法律用語の違い,というものです。
 皆さん新聞やテレビのニュース報道で,あるいは刑事ドラマなどで,犯人のことを●●容疑者といっているのをよく耳にするかと思います。また,この容疑者が刑事裁判にかけられると,●●被告という呼び方に変わりますよね。しかし,法律用語では,容疑者ではなく,被疑者と言います。また,刑事事件の場合,裁判を受けるのは「被告」ではなく「被告人」といいます。なぜか報道では刑事も民事も同じ「被告」と表現するわけですが,そのせいか「被告」という言葉に刑事裁判を受ける人というマイナスイメージがついてしまっているように感じます。代理人をつけずに自ら訴訟対応している被告本人さんから,法廷で「人を“被告”呼ばわりするとは失礼千万」と怒られたこともありました。このように,同じものを意味するときに日常用語と法律用語とで表現が違う場合というのは他にもあるのですが,この場合は法律用語の意味さえ分かればそんなに困ることはないわけです。
むしろ気を付けないといけないのは,日常用語と法律用語とで同じ表現をするものの,その意味するところが違う,という場合です。典型例が「相続放棄」です。法律相談などで,“自分は相続を放棄した”という話に接することがあるのですが,よくよく話を確認してみると,それは法律上の相続放棄ではない,ということがままあるのです。どういうことかというと,遺産分割の際に,「自分はいらないよ」「兄に全部あげるから,自分は放棄するよ」という対応をする場合というのはあると思います(こういうのを,事実上の相続放棄と言ったりもします。これをもって「相続放棄」をしたと思い込んでいる人がよくいるのですが,それは法律上の相続放棄ではないのです)。法律上の相続放棄というのは,相続開始に遡って初めから相続人でなかったことになるという効果をもたらすもので,これによって被相続人の負の遺産(借金なんかですね)を相続せずにすむことになるわけです。この法律上の相続放棄については,一定期間内(基本的には相続開始を知った日から3か月以内)に,家庭裁判所に対する申述という手続きをとらなければならないんですね。だから,先ほどの例のように,共同相続人間で「自分は放棄するよ」と言っただけでは(事実上の相続放棄をしただけでは)法律上の相続放棄をしたことにならないのです。
その結果,どういうことが起こり得るか。例えば,被相続人には実は多額の借金もあったことがあとから分かったとします。期限内に法律上の相続放棄をしていれば,そもそも責任を負うことはないのですが,事実上の相続放棄に過ぎない場合,法的には相続人たる地位を失っていないのですから,負の遺産も法定相続分にしたがって承継してしまうことになります。このとき,“積極財産については全部兄にあげたんだから,負の遺産(借金)も全部兄が負うんでしょ”と考えるかもしれません。しかし,このご兄弟間ではともかく,債権者に対しては,このような取り決めは対抗できないものとされているのです。ですから,相続放棄をする,という言葉の意味について,正確に知っていないと,自分では相続放棄をしたつもりなのに債権者から請求されてしまう,という状況が生じ得るわけですね。
二つ目の視点は,制度ごとの違い,というものです。
法律相談などでよく聞かれるのが,“遺産分割は10か月以内にしなければならないんですよね?”というものです。あるいは,“納得いかなかったけど,10か月経っちゃうとまずいからということで,渋々ハンコを押しちゃった”という話を聞くこともあります。これは,相続税の申告期限の話と混同されているんですね。相続に関しては,税金の話と実体の話(どうやって分けるか)とで異なる点が多々あるので,やはり一度専門家に相談されることをおすすめしたいです。「弁護士を立てるともめる」「そんなにおおごとにしたくない」という声もよく聞きます。実際,そういう側面もあることは否定できないと思います。ただ,別に事件そのものにつき弁護士に委任するのでなくてもかまわないのです。単に,よくわからないところ,あるいはどういうことに気を付ければよいか,についての知識を仕入れておくだけで,後悔しない進め方ができる場合が多いのです。
三つ目の視点として,法律あるいは裁判では解決しない問題,ということをお話したいと思います。
 本当に身近によくある話で,弁護士も思わず頭を抱えてしまうのが,お隣さん同士のトラブル(相隣関係といいます)です。音がうるさい,とか,木がはみ出てきているとか,境界の位置でもめるとか,色々あります。もちろん,ひとつ具体的な事件については,裁判をすれば最終的には何らかの解決をみることにはなるでしょう。問題は,その事件が終わっても,「お隣さん同士の状態」がそのあとも続いていく,ということなんです。何かもめごとがあって,裁判を起こして勝ったとしても,そのことがしこりとなって,また新たな紛争の火種になってしまうことがよくあります。依頼した弁護士も,基本的にはその事件が終われば「事件処理は終了しましたので」となってしまうのが多いでしょう。そうなってくると,いかに法的に正しいか,というよりも,いかにトラブルを激化させないか(円満を保つか)といういわば生活の知恵の方がはるかに重要になってくるわけです。
一つ目の視点のお話も,二つ目の視点のお話も,勘違いをしていると損をする結果になりますよ,というお話です。ただ,これらの法律知識について日頃からよく勉強して全部知っておきましょう,というのは全く現実的ではありません。今日この場で,これとこれを知っておけば損をしない,ということを全部お話することもできません。三つ目の視点のお話で申し上げたように,当たり前ですが,生活の知恵,普段の人付き合いが法律知識に勝る場合も多いわけです。今日この場で皆さんにお伝えしたいのは,基本的には皆様におかれましてはこれまでのように皆様の良識・常識にしたがって生活をされていくのが一番で,ただ世の中には無数に法律があって,その中で自分に関係しそうなものだけに限っても,知らないと・勘違いしていると損をすることはいっぱいあるから,あれっと思ったときにはためらわずに(専門家に任せなくとも)相談してみましょう,ということです。
なんだか法律家らしくない結論になってしまって恐縮ですが,私の卓話は以上です。ご清聴ありがとうございました。